猫と英語と

英語の勉強の事。猫の事。

英語は苦手

50代に入って英語の勉強を始めようというのだから、さぞ英語好きか、と問えば、胸を張って英語は苦手で嫌いでした!!と言える。

今でこそ「嫌い」という感覚はなくなりつつあるが、苦手意識はまだまだ根深い。

 

なぜに、それほど英語が苦手になったか。その理由は間違いなく出会い方にあった。

 

 

初めての英語

英語に初めて出会ったのは、当時一般的であったであろう中学入学前だ。中学から英語の授業が始まる事を危惧した母が、教師役をかってでたのだ。

まずはこれが失敗の第一歩。当時私は第2次反抗期にちょうど差し掛かっており、親のいう事は例えそれが正しくても反発を感じる、といった精神状態だったもので、母が目の前に座って自分の事を評価するという状況自体が嫌で嫌で仕方がなかった。

 

その時点で相当ハードルが上がっているにも関わらず、我が母は、言ってしまえば「ほめ下手」だった。できた事を褒めるより、出来ない事を指摘して、なぜできないのかと問いかけてくるタイプ。この2つが揃って、加えて親子という甘えと色眼鏡が双方にある場合、母との英語勉強時間が破綻するのは、まあ、予定調和だったと言える。

 

 

英語自体が意味不明

当時は今ほど生活の中に英語が入り込んでおらず、外人と接する機会などあろうはずもなく、洋楽等を聞く習慣も無かったため、「英語」そのものが新しい事であり、なぜ日本語以外の言葉を身につけなければならないのか、全く理解できなかったのだ。つまり、学習で一番最初に必要な興味、好奇心がない状態で、なおかつ教えてくれる人はできない事ばかり指摘をするため、達成感などあろうはずもなく、私は早々に「英語は嫌い!」とインプットをしてしまった。

 

その「英語嫌い」状態の頭で英語を見ると、アルファベットの読み方が変わる事がまず許せなかった。(笑)

「abcの歌」までは順調だった。筆記体の流れるような形?はデザインとしてとても心惹かれ、美しい筆記体を書けるようになるための練習は楽しかった。

 

そうやって頑張って覚えた文字の読み方が、単語になるとドンドン変わっていくのだ。さらに特定の組み合わせになると、全く違う発音になったり、発音されなかったりする。生まれて以来日本語しか接していない11歳の脳みそにとって、発音しない文字が必要などは、全く理解の範疇の外だった。

 

加え、英単語のスペルと同時に発音記号を読めるようになる必要がありますと言われる訳だ。まあ、この発音記号というのが、謎の象形文字以外何物でもなかった。私は早々に理解することを放棄した。英単語のスペルを、自分が知っている音と結びつける事なく覚えていくことは、拷問に近い。残念にも天才的な記憶力の持ち主ではなかった私には、出来ない!と自己否定感を植え付けるには十分な出来事だった訳だ。

 

 

発音も無理

私は歯並びが悪く、歯の大きさに対して顎が狭い。乳歯の時は上下のかみ合わせが逆だったので、現在ならば完全に歯科矯正の対象だ。ちなみに当時も小学校の検査でひっかかって矯正には通った。ただ、当時の矯正は今のように優しいものではなく、一気に全部に針金をかけて動かすというもので、お豆腐をかむ事すらつらい(矯正をしていた友人の弁)ものだった為、前歯を指で押し出し、かみ合わせが戻ったところで様子見、終了となっていた。

 

歯並びのせいか、私が不器用だったせいか、まあ両方だったと思われるが、まず「th」の発音でつまずいた。舌を歯と歯の間に挟んで、抜きながら発音する、などという高等技術は泣きながらやっても出来なかった。今考えれば、あれだけ頭も身体も硬直して正しくやろうとしていたら、出来るものも出来なかったろうなあ、とは思うが、当時は必死だった。LとRの発音の違いも出来ないし聞き取れない。下唇を軽く嚙んで、とか、アとエの間の音、とか・・・・・

泣きながら、もう英語なんてやらない!と母に訴えるくらいには、私に劣等感を植え付けたものの一つだ。

 

 

はじめが大切

そんなこんなで、まあ英語勉強の開始早々に大きな落とし穴に落ちてしまった私だけど、英語が苦手な人で同じような経験を持つ人は多いのではないだろうか。日本語習得時は乳幼児という特権で、どんな変は発音でも意味が通じない文章でも、大人はにこにこと聞いてくれ、何なら目いっぱい褒めてくれ、自分の発音含め文章を客観的にみることももないから、劣等感を抱くこともなく、ともかくどんどん話す事が出来る。その抵抗感のなさって、言語習得にとってはものすごく大切な事だ。今、小学生から英語が必須になって、色々問題も含め取りざたされているけれど、出会いが楽しいものである事は、絶対に必須だと思う。