猫と英語と

英語の勉強の事。猫の事。

猫は何匹まで一緒に暮らせる?

古くから、猫派なのか犬派なのか?という問いかけがある。

全く個人的な感覚なのだけど、私が子供のころは、犬派が多かった気がする。猫は今のように完全室内飼いではなく、お外に自由に出ていたような記憶がある。飼うというより軒下を貸すといった感じが強かったような。

 

勿論、犬も外飼いが殆どだった。我が家でも犬を飼っていたが、室内だと人間の生活音で犬が落ち着かないから、外で飼った方が犬の為だ、と両親に説得された記憶がある。立派な犬小屋をつくってもらっていたけど、今のように室内で一緒に生活するという事はなかった。

 

犬も猫も一緒が幸せ

個人的には、犬も猫も今のように一緒にお家の中で生活出来る方が幸せだと思う。多少なりと人間側に工夫と妥協が必要ではあるが、それ以上に幸せが大きい。

と言う私は、現在猫たちと暮らしている。

本当は犬と猫、両方と一緒に暮らす事に憧れている。SNSに日々アップされる、仲睦まじい犬と猫の写真や映像は、際限なく憧れをつのらせる。(笑)

 

が、現実にはほぼ不可能だ。犬を飼うなら大型犬希望だが、まず収入が厳しい。大型犬を一生無理なく飼育出来る収入は無理だ。また部屋の契約上の問題もある。大型犬の介護に入ったら車は必須だが、私は免許すら取っていない。

 

さらに、今、一緒に暮らしている猫たちはビビりが多く(みんにゃ保護猫)今更犬との共同生活はストレス以外の何物でもないだろう。

 

そんなわけで室内生活については猫しか経験がないのだが、猫に関しては殆どの場合室内での生活の方が圧倒的に幸せだと断言出来る。

稀に、捕獲してもケージに入れられる事でパニックを起こしてしまい、どうしても室内に入れられない子もいるが、これは本当に稀なケースで、殆どの子はかかる時間に差があれど、室内の生活に馴染んでいく。

 

何匹まで大丈夫?

猫は数頭飼いがお勧めである。中には絶対に他の猫は許せない!という子もいるので、そういった子は単頭飼いが絶対である。なぜならそういった子は自分のテリトリーに他の猫がいる事が許せず、唸りあいや喧嘩が絶えず、必ずどちらかが、もしくは両方が、マーキングで部屋中におしっこをして歩くようになる。そうなったら悲惨である。保護猫の譲渡に必ずお試し期間があるのはこのためだ。

最初は威嚇していても、時間をかければ新人猫との同居生活を受け入れてくれるの子が多いが、それまでは人間側の配慮と手助けは必須である。猫同士の相性でどうしても相いれない場合もある。すでに先住猫がいて、その子が他の猫との生活の経験がない場合、新しい子の受け入れには慎重であったほうが良い。

 

それでも、可能なら、2,3頭での数頭飼いが猫にとっても人にとっても幸せ度数が上がると思う。仲良し猫同士のグルーミングやくっついてのお昼寝、子猫や若い猫であれば追いかけっこやどったんばったんのプロレスごっこと、人では代わってあげられない猫同士の付き合いが出来る。そしてそれを愛でる人間の幸せ度数も上がる。仲良し猫が一緒に暮らしていると、人に対しての依存度も軽減されるので、仕事等留守にするときの罪悪感と心配は激減する。保護猫を引き取るとき、最初から保護施設で相性の良いペアで引き取るのは最もおすすめの飼い出しである。

 

多頭飼いは?

一時、預かりさん(保護猫の人馴れ、引き取り先が見つかるまでの預かり)をやっていた関係で最大9頭まで暮らした事があるが、絶対にやめたほうが良い。ボランティアで猫の保護等を行うなら別だが、普通の猫飼いのうちは絶対におすすめしない。まずは1頭1頭に目が絶対に届かない。何なら手も届かない。引っ込み思案で誰もいないときを見計らってそっと近寄ってくるような気弱な子は、ストレスをためてずっと引きこもったりする。加えて同居数が4頭を超えたあたりから、トイレの問題が発生する可能性が一気に上がる。トイレでお尻を上げておしっこをしたり、お気に入りの猫ベットやハンモックにマーキングをし、何なら飼い主と一緒に寝ていた布団などは恰好の標的である。私も、布団、洗濯機、台所、洗面所、ドライヤー、ヒーターその他ありとあらゆるところにされた。その度に洗ったり捨てたり買い替えたり諦めたり、と大変な思いをした。猫のおしっこは臭い。そして一度されるとなかなか匂いが落ちないのが現実だ。

 

たとえば2頭で暮らしていた時は全く問題なかったのに、新入りさん1頭が入った途端にこういった問題が発生する事がある。このくらいの頭数なら、新入りさんにゆっくり馴らす、トイレの設置を増やす、等々様々な工夫で数か月で落ち着く事が出来る。最初から部屋を別にするなど工夫してゆっくり進めば、トイレ問題を起こさずに新入りさんが仲間に加わる事も十分可能だ。

 

勿論猫の性格や、お家の広さ、家族の人数等のよって状況は多少変わるが、常に10頭前後、もしくはそれ以上の猫たちの保護を自宅で頑張っている人たちは、常に粗相問題に苦しんでいた。私の経験から言っても、4~6頭がストレスなく一緒に暮らせるマックスの頭数であろうと思う。

 

英語で勉強、英語を勉強

高校で暗黒英語時代を過ごしたため、自分は英語と無縁の人生を過ごす!と決意したものの、なかなか人生は思い通りには進まないものである。

 

英語だけではなく、高校時代は散々だった。第2次反抗期真っ盛り。私のやる気はどこかに消滅し、文句とぐうたらと不機嫌で構成されていた。しかし、進路決定は否応なしに迫られる。実家に居続ける事はぜひに避けたいが、自分で自立できる経済力も無し。となると、家から通えない距離にあり、両親が納得するレベルの大学進学が一番なのだが、3年間の不勉強はちょっとやそっとでは挽回できるレベルではなく。おまけに勉強してみたいと思う教科もないときた。

 

そんな私だが、1つだけやりたい事、やれる事があった。よし!それをやろう!と決意したのだが、ここで問題が発生する。その専門分野の勉強は日本では出来なかったのだ。勉強したい!と思った学校は、なんとイギリスはロンドンにあった。つまり・・・英語が絶対に必要な能力として私の人生に立ちふさがってきたのだった。

 

幸いな事に、私が望む専門分野は実技の占める割合が高く、公的な英語資格は要求されなかった。ただし、当たり前だが授業は全部英語。3年生卒業時には人に指導するテストもあった。入学試験も実技が中心だが最低限の英語は当たり前の事として要求された。

 

 

英語の勉強スタート

そうなったらもうやるしかない。私は無謀とも思われる英語勉強に突入した。高校3年の時間ロスのダメージは凄まじく、最初はローマ字すら怪しかった(;^_^A

1年必死に勉強して、補欠で入学資格を獲得。夢だったロンドンでの留学生活が

始まった。でも、人生そんなに甘くはない。1年程度の勉強で英語で勉強できるほど、英語の実力が付くわけがない。片言の英語でイギリス人のクラスメートに頼み込み、ノートを貸してもらい、それを写して勉強する日々。

 

まずもって、ノートに書きこまれている文字が読めない!!彼女たちは日本で習ようなな筆記体はまず書かない。uなのか、rなのか、e なのか、推理しながら辞書を引く。何しろ圧倒的に語彙が足りない為、推測が出来ず、スペルが解明できないと、単語の意味すら分からない。ちなみにリスニングだって怪しい為、授業ではほぼチンプンカンプン。実技はある程度はわかるものの、指示の詳しいところまでは理解不能。いやあ、本当に厳しかった。

 

ひたすら実地で頑張った結果、2年目に進級出来、3年できちんとディプロマを取って卒業できた。ただし、これは私が専攻した分野が特殊だったからだ。テストは実技が多かった為、指示を聞き取れれば何とかなった。人に教えるテストは口語で乗り越えられた。つまりエッセイや小論文、または英文を書かなければならないテストは1つしかなかったのだ。そのテストもD判定、F(落ちる)より一つ上、でからくもパス。

 

まあ、そのくらいだったので、ものすごく必死に頑張ったが、英語の勉強をした訳ではない。私の英語の実力は自分の専門分野に物凄く特化しており、3年経っても、日常会話ですら若干の不便を残していた。

 

 

使わなければどんどん忘れる

その後日本に帰国し、英語からはどんどん離れていった。きちんと勉強して身に着けたものではない上、語彙力もたいしてなく、使わない時間が当たり前に増えていった結果、現在はリスニングも大分怪しい。気楽に英語の手紙を書く事も無理だ。大体、使える英語を身につけるって、そんなに簡単な話ではない。日本語でも、挨拶、世間話が出来る事と、きちんと日本語の文章を書ける事は全く別レベルな学力だ。

 

つまり、現在の私の英語の実力は、高校卒業時に毛が生えた程度と思われる。高校卒業時よりマシなのは、トシを取った分、自分を知っていることと、アレルギーはなくなった事くらいだ。

 

 

英語を勉強

50代前半にして、予定外に職を変える事になり、現在はバイトを探し中。な、中、何か出来る事はないか、と思い至った事が英語の勉強。若かりし頃、多少は聞きかじって勉強した分、ゼロよりは良いし、今から数学を勉強するよりよっぽど抵抗はない。英語が使えるくらいになったら、それなりに食べていけるのではないか?と邪推。まあそのうちAIが全部訳してくれるかもしれませんがね・・・・・

 

さて、そうと決まったら、本屋にゴー!英語もだけど、大抵のことはある程度の基礎を自分でやってからではないと、人に習っても大して効果はない。まずは独学である程度は、と思ったわけだが、本屋に行ってびっくり仰天。まあ、あるわあるわ、大量の英語のお勉強本。私の学生時代にはこんなに沢山のお勉強本はなかったぞ、と思わずジト目になってしまった(笑)

 

悩みながらも数冊をセレクト。さて、これらを片手に久しぶりに勉強を始めよう!としているわけである。

 

 

 

中学・高校時代と英語

英語は苦手 に書いた通り、中学に上がる前からがっつり「英語は苦手です!」になった私。でも、中学生活も進むと、洋楽に触れる機会が出来たり、洋画を見る機会もどんどん出てくる。その中で、あ、英語できるとカッコいいかも、と思う事も増えてきた。

 

洋画はモチベーションをくれる

特にミュージカル映画が好きになり「サウンド オブ ミュージック」は大のお気に入りになった。そのころはビデオレンタルがメジャーになってきた時期と重なり、お小遣いをはたいて、ビデオレンタルでちょいちょい洋画を見ていた。

バック・トゥ・ザ・フユーチャーやグレムリンゴーストバスターズホームアローン。最近話題になったトップガンも、確か学校で見た気がする。なぜトップガンを学校で見たのか、理由はちっとも思い出せないが(笑)

 

そうすると、ちょっとは欲が出てくる。英語で直接理解出来たら、楽しいかも、話せたらカッコいいかも。苦手だけど勉強してみようかなぁ・・・とチャンスが訪れたわけだ。

 

 

学校英語は厳しい

ところが、学校英語は何と言うか、こちらのささやかなやる気を木っ端みじんに吹き飛ばす構成になっていた。最初はある意味有名な「This is a pen.」から始まり、なんの語彙力もないところに、いきなり5文型の習得から始まる。ちなみにアルファベットの読み方なんぞはほぼ教えられない。つまり、アルファベットは書けるが、単語になったときにどう読むのかのルールもわからず、語彙力ゼロで文法を習得せよ、と言うのだ。

 

そりゃ、無理というものだ。現在英語塾に需要がある事がものすごく理解出来る。文法に入る前に、基本的なフォニックスとある程度の英単語を教えておいて欲しい。まあ、私の時代、フォニックスは全く一般的ではなく、皆必死に発音記号を覚えようとしてた記憶があるが。

 

もう一つの難しさは、教える先生も大して英語が話せない事だ。昔は今よりそうだったはず。英語はわからないものの、カッコいい英語の発音は映画や洋画でそれなりに耳に馴染んでいる。そんな中、教科書を音読する先生の発音が完璧カタカナか、変に協調されたアクセント付きな場合、だいぶ心は折れてしまうのである。何しろこちらには、絶対に英語が出来るようになりたい!といった強い学習欲はないのだから。

 

そんなこんなで英語苦手、でもちょっとは惹かれている、という微妙な生徒心理は、どんどん進む文法の学習に加速度的についていけなくなるのである。

 

 

大学入試対策英語はもっと無理

それでも頑張って中学英語はなんとか乗り切った。5教科の中でも一番点数は低かったけど、英語アレルギーとまではならず、あ~、英語やりたくないなあ、でもやらなきゃなあ、という感じで付き合っていた。

 

英語アレルギーを発症したのは高校時代である。

英語アレルギー、すなわち、アルファベットを見ただけで、メンタルがすべて投げやりになり、たとえちょっと考えればわかるレベルの問題でも、無理!と放り出すレベルの英語拒絶状態である。

 

だって、過去の高校英語は、入試で振り分けるための手段以外なにものでもなかったと思う!日本語でもこんな小難しい単語わからんわい!という英単語を大量に覚えなければならず、文法問題はちょっと違う言い回しを使えばバツになり、リーディングで出てくる文章は、はっきりきっぱり面白くもなんともない文章ばかり。

と言う訳で、高校3年間、私はほっとんどまったく、英語の勉強はしなかった!!完璧に放棄していたのだ。そのためテストの点数は常に一桁。最初に出てくる発音の選択問題を適当に書き込んで終わらしていた。ま、全く威張れる事ではないが、本当です。

 

ちなみに洋画は「字幕あるし」で乗り切り、洋楽を歌ってみたいという欲はあれど、歌詞カードが読めないので、「音痴だし」と悔し紛れのハミングで乗り切ろうとしていた。それでも、このころ邦楽でも英語がどんどん使われ出していて、邦楽で使われる英語くらいは出来るようになりたいな、とはかすかに思ってもいた事は確かである。

 

 

そんな英語暗黒時代を高校生で過ごし、絶対に一生英語には関わらないんだ!と宣言していたのだが・・・・やはり人生は計画通りには進まないのである・・・・

 

英語は苦手

50代に入って英語の勉強を始めようというのだから、さぞ英語好きか、と問えば、胸を張って英語は苦手で嫌いでした!!と言える。

今でこそ「嫌い」という感覚はなくなりつつあるが、苦手意識はまだまだ根深い。

 

なぜに、それほど英語が苦手になったか。その理由は間違いなく出会い方にあった。

 

 

初めての英語

英語に初めて出会ったのは、当時一般的であったであろう中学入学前だ。中学から英語の授業が始まる事を危惧した母が、教師役をかってでたのだ。

まずはこれが失敗の第一歩。当時私は第2次反抗期にちょうど差し掛かっており、親のいう事は例えそれが正しくても反発を感じる、といった精神状態だったもので、母が目の前に座って自分の事を評価するという状況自体が嫌で嫌で仕方がなかった。

 

その時点で相当ハードルが上がっているにも関わらず、我が母は、言ってしまえば「ほめ下手」だった。できた事を褒めるより、出来ない事を指摘して、なぜできないのかと問いかけてくるタイプ。この2つが揃って、加えて親子という甘えと色眼鏡が双方にある場合、母との英語勉強時間が破綻するのは、まあ、予定調和だったと言える。

 

 

英語自体が意味不明

当時は今ほど生活の中に英語が入り込んでおらず、外人と接する機会などあろうはずもなく、洋楽等を聞く習慣も無かったため、「英語」そのものが新しい事であり、なぜ日本語以外の言葉を身につけなければならないのか、全く理解できなかったのだ。つまり、学習で一番最初に必要な興味、好奇心がない状態で、なおかつ教えてくれる人はできない事ばかり指摘をするため、達成感などあろうはずもなく、私は早々に「英語は嫌い!」とインプットをしてしまった。

 

その「英語嫌い」状態の頭で英語を見ると、アルファベットの読み方が変わる事がまず許せなかった。(笑)

「abcの歌」までは順調だった。筆記体の流れるような形?はデザインとしてとても心惹かれ、美しい筆記体を書けるようになるための練習は楽しかった。

 

そうやって頑張って覚えた文字の読み方が、単語になるとドンドン変わっていくのだ。さらに特定の組み合わせになると、全く違う発音になったり、発音されなかったりする。生まれて以来日本語しか接していない11歳の脳みそにとって、発音しない文字が必要などは、全く理解の範疇の外だった。

 

加え、英単語のスペルと同時に発音記号を読めるようになる必要がありますと言われる訳だ。まあ、この発音記号というのが、謎の象形文字以外何物でもなかった。私は早々に理解することを放棄した。英単語のスペルを、自分が知っている音と結びつける事なく覚えていくことは、拷問に近い。残念にも天才的な記憶力の持ち主ではなかった私には、出来ない!と自己否定感を植え付けるには十分な出来事だった訳だ。

 

 

発音も無理

私は歯並びが悪く、歯の大きさに対して顎が狭い。乳歯の時は上下のかみ合わせが逆だったので、現在ならば完全に歯科矯正の対象だ。ちなみに当時も小学校の検査でひっかかって矯正には通った。ただ、当時の矯正は今のように優しいものではなく、一気に全部に針金をかけて動かすというもので、お豆腐をかむ事すらつらい(矯正をしていた友人の弁)ものだった為、前歯を指で押し出し、かみ合わせが戻ったところで様子見、終了となっていた。

 

歯並びのせいか、私が不器用だったせいか、まあ両方だったと思われるが、まず「th」の発音でつまずいた。舌を歯と歯の間に挟んで、抜きながら発音する、などという高等技術は泣きながらやっても出来なかった。今考えれば、あれだけ頭も身体も硬直して正しくやろうとしていたら、出来るものも出来なかったろうなあ、とは思うが、当時は必死だった。LとRの発音の違いも出来ないし聞き取れない。下唇を軽く嚙んで、とか、アとエの間の音、とか・・・・・

泣きながら、もう英語なんてやらない!と母に訴えるくらいには、私に劣等感を植え付けたものの一つだ。

 

 

はじめが大切

そんなこんなで、まあ英語勉強の開始早々に大きな落とし穴に落ちてしまった私だけど、英語が苦手な人で同じような経験を持つ人は多いのではないだろうか。日本語習得時は乳幼児という特権で、どんな変は発音でも意味が通じない文章でも、大人はにこにこと聞いてくれ、何なら目いっぱい褒めてくれ、自分の発音含め文章を客観的にみることももないから、劣等感を抱くこともなく、ともかくどんどん話す事が出来る。その抵抗感のなさって、言語習得にとってはものすごく大切な事だ。今、小学生から英語が必須になって、色々問題も含め取りざたされているけれど、出会いが楽しいものである事は、絶対に必須だと思う。

 

 

 

 

 

 

人生は計画通りには進まない

人生は、本当に計画通りには進まない。

 

50代で職を変更する予定は本当になかったのに。

まあ、でも仕方がない。どう頑張っても今まで通りに進む事は出来なかった。

うん。いや、頑張れば出来たかもしれないけれど、間違いなく精神的ダメージが増え、下手をしたら、病んでいた。

 

なので、一念発起。すっぱり今までの職を辞めて、はてどうしようと、立ち止まる現在。辞める事が一念発起だった。(笑)

 

まずはバイトを探して、日々の糧となる収入を得ねば、なのですが、さて、自分が何ができるか、と考えたところ、苦笑いしか出てこない。

 

そこで思考はスキップし、取り合えず英語の勉強をしよう!となった。

高校時代、英語と聞いただけで回れ右だった自分、果たしてどうなるんだろうか~~